こんにちは!完璧を求めて時々痛い目に遭うナオヒロ(@naohiroyoda)です…笑
先日ドイツ人の友人に日本文化を伝えるべく(英語の勉強のいい機会になるとも思い笑)、一緒に日本国内を旅してきました。一つ前の記事にドイツ人と日本人の考え方の違いをまとめていますので、よろしければ見てみてください。
⇒日本は本当にクールか?ドイツ人のYOUと日本を10日間旅して気付かされたこと
その旅行の中でも訪れた京都にある禅宗寺院「龍安寺(りょうあんじ)」
この記事では日本に古くから定着している15という数字における考え方と完璧すぎない方が良いという考え方について書きます。
もくじ
龍安寺の石庭について
世界遺産(世界文化遺産)にも指定されている京都右京区にある龍安寺(りょうあんじ)。
僕は中学校の修学旅行で初めて訪れました!
お寺よく分かんないしお金もかかるから、先生には行ったことにして遊んでようぜー!といかにも中学生らしいことをしていたら、あとになって旅行記をまとめる時にとても苦労した記憶があります(笑)インターネットでの情報収集にも慣れていない当時の中学生にとって、行ったことないところのことをあたかも行ったかのように書くのは至難の業でした。閉じている人間にいくら知識を詰め込もうとしても効率が悪いので、今でも当時の自分は正しかったと思っています。今ではお寺の魅力がよーく分かります(笑)
さて話を戻して、龍安寺の何がそんなに人々を魅了するのか?
ご存知の方も多いと思いますが、“15個ある石が、どの角度から見ても必ず1つは別の石に隠れて見えないように設計してある庭園”です。
この庭園は、水を一切使わずに石や砂などにより山水の風景を表現する枯山水(かれさんすい)という様式で作られています。
「室町時代末期(1500年頃)に作庭された」と龍安寺には伝えられているものの、作った人、作られた時期、作られた意図ともに諸説あるのでまったく謎に包まれたままだといいます。塀の近くにある細長い石の裏には「小太郎・□二郎」と刻まれいて、作庭に関わった人と推測されるのですが、それ以上のことははっきりしていないのです。
毎日多くの観光客がこの謎の石庭を見に訪れるにも関わらず、受付でいただける拝観パンフレットにも、庭についてはさらっとしか触れられていません。
日本で“15”という数字が持つ意味
そもそもどうして龍安寺の石庭では石が15個見えないようになっているのでしょうか?
中途半端なことをしないで全部見せればいいのに!と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、それは日本を含む東洋思想で、15という数字がいろんな意味を持っていることに由来していると言われています。
どういうことか、少し例を挙げてみます。
二十四節気(15日ごとに変わる季節)
日本はもともと農耕民族で、季節の移り代わりにとても気を遣っていました。種まきや田植えの時期をうっかり間違えてしまうと、秋に野菜や米が収穫できなくなってしまうわけですから、季節に敏感である必要があるわけですね!
同じ月でも上旬と中旬で気温差が生じるため、結果として中国の「二十四節気」という農業においてとても便利な暦のシステムが導入されました。1年を24等分、つまり約15日ごとに分けた季節のことを言います。この暦は月の満ち欠けと太陽の動きをもとにして作られたものです。
ちなみに春は「立春」⇒「雨水」⇒「啓蟄」⇒「春分」⇒「清明」⇒「穀雨」の6シーズンとなりますが、例えば毎年3月6日頃にやってくる「啓蟄(けいちつ)」という季節は「気候が暖かくなって虫が巣穴から出てくるよー!」という意味だったります(笑)
この暦は、15日で一つの季節が締めくくられる(=終わる)という考え方に繋がります。
鬼宿日(毎月15日)
こちらも中国由来の考え方ですが、旧暦で毎月15日は鬼宿日(きしゅくび・きしゅくにち)と言われています。
「鬼が宿る日」と解釈すると少し不吉な日に思えますが、本当の意味は「鬼が宿にいて外を出歩かない日」ということです。つまりふだんは悪さばかりをする鬼も15日ばかりは邪魔をしないので、何をやるにも良い日ということです。
※ただし入籍や結納など、婚礼に関係することを行うには、“凶”だそうです。
今の世の中ではなかなか考えられませんが、節分という行事があったり、昔の日本人は鬼の存在にめちゃくちゃビビって生活していました。
余談ですが、僕の甥っ子(3才)はおにから電話というケータイアプリに今でもめちゃくちゃビビっています(笑)
●成人式
今はハッピーマンデー制度の関係で日付が変わってしましたが、もともと小正月にあたる1月15日に行われていました。
●七五三
男子は3歳と5歳、女子は3歳と7歳に当たる年の11月15日にお祝いしています。
ちなみに七五三という行事の数字(7・5・3)を足し算すると15になりますが、もともと日本では15歳で少年が大人とみなされる元服(げんぷく)と呼ばれる儀式を受けていました。つまり“完成された”一人前の男性として重要な責任と義務を負い、社会の仲間入りを果たす年令を意味します。
これは15という数字が「完全」を意味するという考え方にも繋がります。
十五夜
皆さん十五夜のことはご存知だと思います!もちろん尾崎豊の曲のことではありません(笑)
秋の満月の夜にお団子を供えるあの行事のことです。旧暦では8月15日前後の満月の夜を十五夜としてお祝いしていました。(今使われている新暦は旧暦と1ヵ月程のズレがあるため、今は9月7日から10月8日の間に訪れる満月の日を十五夜と呼んでいます。)
先ほど二十四節気の説明で少し触れましたが、もともと日本人は農業をする上で月の満ち欠けを季節の参考の一つにしていたため、15夜で月が満月になることを知っていました。そんな季節を教えてくれる月にとても感謝をしていたのです。
つまり十五夜には、おかげ様で今年も無事にお米を収穫できましたという感謝の意味と満月(完全な○)という2つの意味が含まれています。
改めて龍安寺の石庭を見てみる
“15個ある石が、どの角度から見ても必ず1つは別の石に隠れて見えないように設計してある庭園”
一説には、「15が完璧を意味する数字のため、全て見えないようにしている」という東洋思想に由来していると言われていますが、この謎については国内外の多くの研究者たちがあらゆる節を挙げています。
「虎の子渡し」説
「七五三」説
「扇」説
「京都盆地を囲む五山」説
「豊臣秀吉石狩り」説
「星座カシオペヤ」説
「黄金比」節
などなど、実はキリがありません(笑)
龍安寺の境内にはもう一つおもしろいものがあります。
こちらは蹲踞(つくばい)と呼ばれるもので、「この紋所(もんどころ)が目に入らぬか!」でおなじみの水戸黄門(水戸光圀公)がプレゼントしたものと言われています。(現物はレプリカ)
真ん中の口を漢字の一部として考え、上から時計回りに読むと吾唯足知(吾れ唯だ足ることを知る)となり、お釈迦様の遺言の一部からとったものだそうです。
僭越ながら思いっきり口語約をさせていただくと、
「満足を知っている人間ってのは金がなくてもリッチだけど、満足を知らない人間ってのは金がいくらあっても貧乏だよな」
お金については一切書かれていませんが、そんなニュアンスの言葉になります(笑)隣にある説明札には、これが禅の神髄であり、茶道の精神でもあり、真の平和の精神であると書かれています。
これは、“15個ある石が、どの角度から見ても必ず1つは別の石に隠れて見えないように設計してある庭園”に対する水戸黄門なりの答えだったのでしょうか?
日本で「完全」を表す数字 “15”
先ほど、十五夜には満月(完全な○)という意味が含まれていると書きました。
ここでおもしろいのが、満月の後、月は新月に向かってどんどん欠けていってしまうということです。「満つれば欠ける」ということわざもあり、完璧と衰退は表裏一体ということですね。
この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば
(この世は自分(藤原道長)のためにあるようなものだ 満月のように足りないものは何もない)
かつて栄華を極めていた藤原道長が、完璧な満月に自らの一族を照らし合わせて詠んだという有名な和歌ですが、そんな藤原氏も結果的に酷い末路を辿って滅びることになりました。
日本には、「完全な15のような状態がずっと続けばいいけれど、その手前の14くらいが一番良い(未完成くらいがむしろ一番良い)」という考え方が古くからあります。龍安寺の石庭には、未完成でも考え方次第で満足できるという精神性が含まれているのではないかとも言われています。
日光東照宮の逆柱
京都から場所を移して栃木県の日光東照宮。ここは江戸幕府初代将軍の徳川家康公が祀られている神社です。
未完成くらいがむしろ一番良いのだという考え方は、日光東照宮にある建築物にも表現されています。2017年3月に修復工事を修了したこちらの陽明門(ようめいもん)というきらびやかな門を支えている12本の柱の中には、逆柱(さかばしら)と言って、一本だけ逆さに立て付けられている柱があるんです。
こちらがその写真で、誰でも見ることができます。
グリ紋様という雲のような模様が一つだけ逆になっているので分かりやすいです。
柱の位置はあえてこのブログではお伝えしませんので、今度足を運んだ時にぜひご自身の目で確かめてくださいね!すぐに見つけられますよ。
実はこの逆柱、陽明門にのみ施されていると長い間考えられていましたが、本社の拝殿・石の間・本殿を仕切る16本の柱の中にも2本見つかっているため、合計3本あることが分かっています。
最後に
人はあらゆるものに完璧を求めてしまう生き物ですが、本当に大切なモノは普通の中にこそ存在するのではないか?
なんとなくそんなことを問いかけられている気もします。完璧主義で機械のような人よりも、少し失敗は多いけど人間味あふれる寅さんのような人の方が、愛嬌があっていいですもんね(笑)
ところで徳川家康公が祀られる日光東照宮には逆柱がありますが、そんな江戸幕府も15代将軍徳川慶喜公で幕を閉じることになったのは果たして偶然なのでしょうか?
歴史は本当に奥が深いです。
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