エベレストベースキャンプ紀行④

この記事では2020年3月1日から9日間かけて行ってきたEBC(エベレストベースキャンプ)トレッキングの様子を書いています。

 



2020年3月4日(水)

時起床!

7時半に朝ごはん、8時に出発。

なんとなくこのくらいの動きがちょうど良いと分かりました。今朝は心配していた高山病の症状もなく、スッキリの目覚めです♪

昨夜ポップコーンを分けてくれたトルコ人のおじさんは、こんな所までノートパソコンを持ってきていたので聞いてみたところ、「仕事のメールを返さなきゃならないけど、インターネットがなくて・・・」と落ち込んでいました。こんなところにまで仕事が付きまとってくるのは、なんかかわいそうだなぁと思いました。

おじさんにまた上で会おうと話して、宿を後にしました。

昨日の朝もそうでしたが、また顔がなぜか静電気を帯びてるような感じがします。原因はもしかしたらカトマンズのタメルで500円で買ったジャックウルフスキン(偽物)のフリースかもしれんな。

パンボチェから歩き始めると景色はさらに開けてきます。

空気の冷たさや山の木々の量など、森林限界も近いのですべてにフィルターがかかっていくような感じです。

途中からついて来た黒い犬は僕が歩けば歩き、僕が休めば休み、まるで道案内をしてくれているようでした。

初めての僕よりもこの犬の方がこの地域の先輩です。そしてきっとこのヒマラヤ地帯こそが世界の全てだと思っているに違いありません。

エサが欲しくて付いて来ていることは知っていたので、行動食のオレオをあげてみると、美味しそうに食べていました。

雑音もなく静かで、スローな時間が流れていました。

しばらく歩くとその先に別の黒い犬が待っていて、こちらの黒い犬に向かって力強く吠えてきます。

そして次の黒い犬に心強い案内役はバトンタッチ。どうやらこの地域の犬にも縄張り意識のようなものがありそうです。

次の大きな集落ディンボチェまでは、右側に川、正面にヒマラヤ山脈という景色が続きます。

途中、ヘリが僕の頭上を山奥に向かって飛んでいきました。その数なんと3機!

観光ヘリか救助ヘリかは分かりませんが、分からないだけあって少し不安になってきます。ここに来るまででさえも、僕には高山病の症状が出ていたわけなので・・・




お昼頃にディンボチェ(4,410m)に着きました。

日差しの強いこの地域では、時々こんな原始的で画期的なものを目にします。

宇宙から電波でも受けてそうな見た目ですが、太陽光を集めてやかんの水を沸騰させる装置です。

この地域では全ての資源が貴重なので、こうした自然エネルギーも大切に活用しているのです。とても勉強になりますね!

キョロキョロしながら歩いているうちに、いつの間にか集落の端まで来てしまいました。

お昼になりお腹が空いていたので、目についた一軒のレストランに入ることにします。

しかしドアにカギがかかっていて、開きません。

来た道を引き返したくないのでしばらくドアをノックしながらナマステー!と言っていると、中から一人の青年が出てきました。

もう11時ですが、いかにも寝起きですといった様子です。

今起きたのか聞いてみると、そうだけど、頭痛がひどいんだ・・・との返事。

彼が言うには、山岳民族のシェルパ族でも、時には高山病にかかることがあるとのことでした。

4,410mも標高があるんだから、それもそうかと思いました。

料理を作るのがもしも大変だったら他を当たろうかと聞くと、作れるから大丈夫と言って、奥の方から食事メニューを持ってきてくれました。

ここまで標高が高いと、流石に食事の値段は張ってきます。とはいえ今日の僕の体調がすこぶる良かったので、顔を洗ってスッキリして戻ってきた彼に、ダルバートを注文しました。

けっこう時間がかかると言われましたが、急いでないから大丈夫と返しました。

待っている間、彼がWi-Fiを特別に無料で繋いでくれたので、4日ぶりに山梨にいる家族に連絡を取りました。

去年アンナプルナベースキャンプのトレッキングをした際、僕と連絡が付かなくなったため大使館にまで連絡して、それでも安否が分からず、もう死んだものと覚悟した愉快な家族です(笑)

ただその時の教訓は、入山許可証を提出することでネパールでは登山者の入山に関する情報を追えることが分かったということです。

何をしてくれるでもないのにどうして許可証にお金を払わなきゃいけないの?と疑問に思う方も登山者の中にはいるかもしれませんが、環境保護の観点以外にこんなポイントもあるので、決して無駄ではないのです。

僕の家族はその時、僕の入山日と入山域を大使館を通じて教えてもらい、それが分かり少しホッとしたようでした。

今回は前回の架空遭難事件のこともあるので、山で連絡が付かない旨は話してきました。そもそも山ではお金を払えばWi-Fiが簡単に買えるのですが、僕はテクノロジーや便利な日常からしばらく距離を置きたかったのです。

常に何か自分以外のもの気を取られて生きる人生も別に良いんですが、僕はどうもそのタイプではありません。山くらいは一人で気ままに歩きたいのです。

家族は元気にやってることが分かりさえすれば、それで大丈夫でした。




しばらくして、立派なダルバートが出てきました。

注文した時よりも胃に余裕がなくなっていることに気づき、死ぬ直前の人かよ、と縁起でもないことを思いましたが、結局おかわりまでさせてもらい、美味しくいただきました。

青年曰く、ここディンボチェも2日目に訪れたクンデ集落同様、寒い場所なので、特産品のじゃがいもがすごく甘くなるらしいです。

確かに野菜カレーは、砂糖を入れたんじゃないかと疑うほど、甘みが強かったです。

精算の際、釣り銭が足りないと彼に言われましたが、安いWi-Fi接続代として喜んで受け入れました。たぶんそこまで計算されていたわけではないと思います(笑)

Wi-Fiを繋げてもらったのは良いものの、50%くらいあったバッテリーのメモリは20%を切っていました(^^;)

もっと電池を大事にしなきゃ!

この先、ドゥグラという今日の目的の集落までは、約2時間とのこと。

彼にお礼を言って、ディンボチェを後にしました。

ドゥクラ(トゥクラとも呼ばれる)までの道のりは、すれ違う通行人はゼロで、久しぶりに近くに人のいない一人の時間を味わうことができました。風が吹いて少しヒンヤリします。

後ろを振り返れば、今日もアマダブラムが壮大な姿を見せていました。

どこからかまた黒い犬がやってきて僕の右側を通り過ぎ、振り返って少し僕の方を見ましたが、何かが違ったのか、そのまま進んで行って視界から消えました。

途中どこかで会った黒い犬たちではないようです。

眼下にはペリツェという谷間の集落が見下ろせました。

もともと僕はこのペリツェのある下の道を通るつもりだったのですが、ペリツェへの分岐に気付かず、時すでに遅しで、先ほどのディンボチェに行ったのでした。分岐に気付いていれば、今頃遥か下を歩いていたかもしれないなと、そんなことを思いながら歩きました。

ゆっくり歩いて時には立ち止まって、ここでは高度順応のためにも、そんなに先を急がず時間をかけることも大事なんだと自分自身に言い聞かせます。

前方の小さな谷間の向こうに、何軒かロッジのようなものが見えてきました。ケータイの地図を見ると、今日の目的地のドゥクラでした。

ダルバートを作ってくれた青年が言っていた通り、ディンボチェからドゥクラまではちょうど2時間。ここまで来るともう、荒れた大地で野菜を育てる畑すら見当たりません。

人々の生活はより過酷になっていきます。

 

ドゥクラ(4,620m)に着いて早々、何か作業をしている青年が目に留まりました。

ロッジのスタッフ相手に、肉の塊を量り売りしているようです。

何の中か尋ねると、バッファローの肉とのことでした。

別のポーターからナムチェで肉を受け取り何日もかけてここまで運んできて、今日さらに上に登って行くとのことです。

ロッジのスタッフたちは久しぶりの贅沢品といった様子で、満足そうにその肉を買っていました。

バッファロー肉を近くで狙っていた犬に青年が切れ端を分け与えると、口が不気味に赤く染まったカラスの群れが、その肉を狙って近づいてきました。

 

その場所に無いものを人力で運び、必要な人に手売りをする。需要と供給が一致する。人類の「売買の原点」を目の当たりにしているような気さえしました。

普段僕は生産者や製造者がどこの誰かも分からないものを口にして、身にまとって、それでも良いんだと自分を納得させて、今日まで生きてきました。その問題提起がこうして天秤にかけられると、こっちの原始的なスタイルの方が人間的で、理に叶っているような気がしてきます。

ドゥクラの部屋代はなんと無料、宿で夕食と朝食を食べてくれるならね、と付け加えられました。



ここでも僕は出会ったみんなにネパール人だと思われました。

知り合ったポーター兼ガイドの男性と話していると、20 k g以上あるバッグをおでこ一箇所で支えて運ぶスタイルを、僕にも試させてくれました。

アホな顔しててすいませんw

別れ際、また飛行場のあるルクラで会おう!と彼に言われ、僕はこれから登りだよと伝えると、帰りはいつの飛行機だい?と言うので、10日の朝の予定だと返しました。逆に彼にいつの飛行機か聞くと、8日だと言います。じゃールクラでは会えないねと言うと、カトマンズで会おうとのこと。

結局連絡先も交換せずに社交辞令のようになってしまったのですが、旅にはこういう場面がたまにありますよね。そしてそういう何気ないローカルとの触れ合いこそが、旅そのものだと思う瞬間さえあります。

どっちにしても愛嬌があるポーターだったなぁ。

部屋に荷物を置きトイレに行くと、案の定トイレも流しも凍っていて水が出ませんでした。

それもそうか、寒いし、4,620mだもんな。




高山病用の錠剤を2粒飲み、部屋で少しの間ゆっくりしました。

夜はシェルパシチューをいただき、ダイニングのストーブで暖を取っていると、シェルパのスタッフが高所ならではの粉を溶かして飲むオレンジジュースを振る舞ってくれました。

これが寒い夜、五臓六腑に沁みわたっていくのを感じて、幸せでした。

そして日本から持ってきたKindleで「ビヨンドリスク」という歴史的な登山家たちの対談がまとめられた本を読んでいると、

ヒマラヤ地域への登山者の増加で、シェルパの暮らしに大きな負担がかかっているという表現がありました。

登山者の増加により山での雇用が生まれることはメリットかもしれませんが、それまでのシェルパの生活スタイルは、もう絶対に戻ってこないとも言えます。

その通りだと思いますし、どうすれば彼らの負担を軽減できるかを、僕自身も山を享受する人間として考えていきたいと思いました。

もちろん燃やせる紙類を除く全てのゴミは、ゴミ箱があっても環境のために山から持ち帰ります。

・・・またちょっと頭が痛くなってきたので、Kindleの電源を落とし、部屋に戻って寝るとします。

時間は21時でした。



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