【話ネタ】「人間の展示」のはなし

こんにちは!

今回は僕が学生時代に受講した「文化人類学」という講義の中で扱われた人間が展示された話をご紹介します。

 

「展示」という言葉の意味は、コトバンクによると下記の通りです。

美術品・商品などを並べて一般に公開すること。

この表現は納得ですよね。

 

「展示」というのはなんとなくモノを見せる行為と思われがちなのですが、日本の歴史の中では、生身の人間が展示されて事件に発展したことがあります。

それがいわゆる人類館事件(じんるいかんじけん)です。




第5回「内国勧業博覧会」

明治36年(1903年)の3月から7月にかけて、大阪の天王寺今宮で第5回目となる内国勧業博覧会が開催されました。

日本国内で鉄道や船舶ルートが整備されていった時期でもあり、この博覧会の入場者数は4,350,693人にも及び、内国勧業博覧会はじまって以来の大記録を達成しました。

ちなみにこの内国勧業博覧会というのは今でいうところの万博(今年はドバイ開催!)なのですが、当時の日本にはまだ「万国博覧会」と銘打つほどには参加国を集める力がなかったので、内国勧業博覧会とされたそうです。

 

会場には「工業館」「農業館」「林業館」といった日本政府による12のパビリオン(展示館)が設置された他、海外18ヵ国が自国の紹介やアピールのためにこぞってパビリオンを出展しました。

そしてさらに、博覧会の会場正門前には「博覧会余興」ということで民間業者によるパビリオンが並びました。

その民間パビリオンの一つが「学術 人類館」だったのです。



「学術 人類館」

博覧会開催にあたり、1903年の『風俗画報』269号には、下記の「学術 人類館」についての紹介文が掲載され、物議を醸します。

内地に近き異人種を聚め其風俗、器具、生活の模様等を実地に示さんとの趣向にて北海道アイヌ五名、台湾生蕃四名、琉球二名、朝鮮二名、支那三名、印度三名、瓜哇一名、バルガリー一名、都合二十一名の男女が各其国の住所に摸したる一定の区画内に団欒しつゝ日常に起居動作を見すにあり。

つまりアイヌ民族・台湾の高山族・琉球人・朝鮮人・清国人・インド人・ジャワ人の生身の展示が行われるという企画展でした。

実際には外交ルートを通じて清朝から開催前に抗議があったため清国人の一般公開はされず、さらに朝鮮と沖縄からも開会直後に抗議があったので、これらの人々の展示は途中で取りやめられました。

沖縄に関しては、県全体に非難の声が広がっていたものの、「琉球の貴婦人」という名目で展示されていた2名の女性を主催者側が沖縄に帰したことで、事態は次第に収まっていったといいます。

しかしこれは、“生身の人間が展示されたこと” が単純に問題になったのではありません。

 “差別的な展示と認識されたこと”  が問題だったのです。




実際、琉球人の展示に対しては、展示の解説者が動物の見世物さながらに「コイツは!」「コイツは!」と指しながら説明し、それを見た沖縄県人によって抗議に発展したとされています。

この一連の事件に関して、沖縄生まれで『人類館・封印された扉』の著者、金城馨さんはこう言っています。

沖縄人の中にも、沖縄人と他の民族を同列に展示するのは屈辱的だ、という意識があり、沖縄人も差別する側に立っていた

つまり「差別反対!」と声を上げたところまではいいものの、「我を生蕃アイヌ視したるものなり(私たちをアイヌなんかと一緒にするな)」という講義キャンペーンがあったことを考えると、差別の連鎖が起こっていたというわけです。

 

アイヌの人々に関してはこの展示をむしろチャンスと捉え、来場者にアイヌに対する差別を訴え、待遇改善を求めたとされています。ホテネ(日本名:伏根弘三)さんは、学校建設の資金稼ぎのために “展示される” ことを選択しました。

この「学術 人類館」については、抗議のあった民族の展示は中止されましたが、展示そのものは万博終了まで続けられました。

しかし各国からの非難が相次いだこともあり、その後の万博において、人類館のようなパビリオンは登場していません。

「人間動物園」という考え方は、万博以外では21世紀になっても残っているようですが・・・



「人間動物園」という考え方

このような人間の展示はその様子から「人間動物園」とも言われ、日本に始まったことではありません。

起源については16世紀のヨーロッパまでさかのぼるようですが、19世紀の半ばに、かの有名なダーウィンの進化論が社会に受け入れられ始めた頃、西欧の近代社会を人類の進化の頂点とみなしアジアやアフリカの諸民族の社会を「遅れた」「劣った」社会とみなす風潮が生まれました。キリスト教的な思想も関わっていると思われます。

そうした中、西欧諸国によって自国の帝国主義や植民地経営を正当化するためのツールとして機能したのが、人間動物園という展示なのです。

1903年の日本の「人類館」も例外ではなく、博覧会の余興、そして大日本帝国の植民地経営を誇るものとして行われました。

 

日本が国際的な万博に初参加したのは幕末1867年のパリ万博ですが、19世紀後半の欧米の万博では、日本人を展示品とした「日本人村」も存在しました。

1900年に開催されたパリ万博では、展示役を務めた芸者に一目惚れした青年がプロポーズを申し出たり、着物を譲って欲しいと願い出た女性の存在の記録があったりと、日本においては人種差別意識というよりもむしろ純粋な民族文化の展示と受け取られたようです。 (Wikipedia「パリ万国博覧会 (1900年)」より)

 

このように「人間の展示」がポジティブに捉えられるかネガティブに捉えられるかの違いは、展示される人物に主体性があるかないか、また展示される民族の人々がそれを良しとするかしないか、ということでしょうね。

 

ここまで記事を書いてきた中で、肖像権などの人権にも関連する話だと僕は思いました。

昨年、インド北部のパキスタン国境まで10kmというところにあるイスラム文化圏の村を訪問した際に、こんな貼り紙を目にしたんです。

観光客の皆さん、生活している人々にはカメラを向けないでください。

無断でSNSなどに投稿されている姿を見て、みんな疲れ切っています。

確かに僕は、現地の人やその生活に触れるような旅が好きで、時には写真を撮ることだってあります。

ただ、珍しいものに対する好奇心は人間誰しも持っているにしても、人権を尊重することが第一だと感じた瞬間でした。

 

さて「人間の展示」について、皆さんはどう思われますか?

 






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