2018年7月12日(木)
※備忘録としての日記をベースにしているため、不必要な文章も多いかと思いますがご了承ください!
☆旅のルート☆
デリー→リシケシ→デリー→
→カジュラホ→バラナシ→ブッダガヤ
⠀
バラナシに来てもう4日目。何もしないままただ日が過ぎていく感覚があるけど、日記を見返すと一応何かしらしていた自分を確かめられるので、書いていて良かった(笑)
この日のバラナシの日の出時刻は5時16分。
早朝のガンジス川を散歩したくて4時30分に起きた。同部屋の中国人Cくんも一緒に行きたいと言っていたのだけどCくんは朝に弱いようで起き上がることすらできず、仕方がないので僕一人で歩くことにした。
宿を出ると、5時過ぎにも関わらず路上のお店は開店の準備をしていた。インド人はいつ寝ているのか本当に疑問だ(笑)
ゲストハウスのオーナーあきこさんが言うには、バラナシではその日最初の商品(野菜や果物など)を、お客さんにではなく歩いている牛や犬などの動物にあげる人も少なくないようだ。
良いカルマ(行為)は自分自身に必ず返ってくると信じられてる。
ガートに着くと、日の出前からガンジス川で沐浴している敬虔なヒンドゥー教徒の姿を見ることが出来た。人々は早朝から神聖で≪汚い≫ガンガーで身を清め、1日の生活のスタートを切る。
汚いなんて言ったら怒られそうだけど、実際ガンジス川は汚いし、汚いことを信者達自身も知っている(笑)
忘れてはいけないのは、誰もガンジス川が汚くなることを望んではいないということだ。
それでも汚いガンジス川 < 神聖なガンジス川ということで、彼らは承知して沐浴を続ける。
ここバラナシという聖地は人々の想いが集まり、様々な終わりと始まりに繋がる場所だからか、旅行者の中には精神的に気分が悪くなってしまい、すぐにこの街を去る人もいるらしい。。。
この日は空に雲がかかっていて朝日が見えないまま、自然に明るくなっていった。
「ニホンジン?コンニチハ!」というお決まりのしつこい勧誘をしてくるのは遊覧ボートの船頭。
髭も伸びてきていよいよインド人っぽくなってきたので、ふざけて「アイム インディアン!」と答えながら、振り切って歩く。
ボートの上で器用に眠る人達
綺麗な色をした化学物質まみれの水
似たような顔をした2人の男性が髪を剃られていた。僧侶だろうか?
こちらは僧侶になる学校に通う子供達の朝のお勤めのような場面。
なななんと!ガンジス川の汚い水でシーツを洗っているホテルがあるようだ!!!バラナシでは絶対に信用できるホテルに泊まろう(笑)
そして上流の火葬場近くでは、野良犬が喰う“モノ”を求めて喧嘩しながら彷徨い歩いてた。
本当にここの野良犬は殺人鬼みたいな目をしてる(笑)
7時に部屋に戻り少し休憩してから、9時に宿で手配してもらっておいたリキシャーで、30分程のところにあるサールナートにという町に向かった。
途中朝食にバナナを2つ買って食べていると突然警察が乗り込んできて、その時はいい顔をしてたリキシャーのおじさんだったけど、あとで「嫌な奴だな」と僕に愚痴ってきた。
わかるわかる。権威を使った無賃乗車はいけないよな!!!
サールナートはブッダ(お釈迦様)が悟りを開いた後、初めて説法をした場所として知られる仏教における“四大聖地”のひとつ。
仏教四大聖地!
元も子もないことを言うと、ブッダがここサールナートで説法をする前に亡くなっていたとしたらそもそも仏教は存在しておらず、僕ら日本人の生活は大きく変わっていたことになるわけだから、不思議だ(笑)
サールナートにあるムルガンダ・クティ寺院の壁には、日本人の野生司香雪(のうすこうせつ)さんが5年の歳月をかけて1936年4月15日に完成させたブッダの生涯を描いた壁画がある。
写真撮影禁止だったけど、戦前に異国の地で立派な壁画を描いた日本人がいたことを誇りに思い、感動した。
今は野生司香雪さんのお孫さんが東京都内の学生に声がけするなどして、壁画の修復を試みる動きもあるんだとか。
ブッダが五比丘(ごびく)と呼ばれる5人の弟子に初めて説法をしているシーン
サールナートにあるダメーク・ストゥーパ。
ストゥーパというのは元々ブッダの遺骨を納めたもので、インドから中国・朝鮮半島を通って日本にも形を変えて伝わって今に至る。
お寺にある五重塔、お墓にある亡くなった人を供養する卒塔婆(そとば)がそれらしい。
まさか日本の五重塔の起源がこれだとはなー!!!
遠くから見るとなめらかに見える壁面も、近くで見るとレリーフ模様が施されていて綺麗だった。
サールナートは仏教の四大聖地だけあって、日月山法輪寺という日蓮宗のお寺も建っている。インドで南無妙法蓮華経という字を見るのは少し違和感があった。
サールナートからの帰り道、久しぶりにバカなインドの光景を目の当たりにする。
いろんな乗り物が我先にと動き、結果的に誰も動けなくなるという状態(笑)もちろん信号なんてないからね。写真では伝わらないクラクションの大嵐。
暑い中かれこれ10分以上これに付き合わされた。
なんとか宿まで帰ると、住み込みのJくんがクリームパスタのようなものを買ってきてくれたので、そこにいる日本人みんなでいただいた。
彼はギターがとても上手くて、その後屋上で歌声を聴かせてくれた。
夜、シタールのMさんのところにバラナシ最後の夕飯を食べに行く途中、路上で牛が変な行動を取り、誰かが大声を上げてた。
と思うと牛が音を立てて、巨大な黒い身体が地面に倒れ込む。
近くを通ったインド人が言うには、牛が電線か何かに触れ感電したらしい。
その15秒後くらいに通りの電気が全部消えた。
シタールのMさんのホテルのレストランにあるテラス席からは、ガンジス川の夜景がとても綺麗に見える。
シタールのMさん、住み込みのJくん、中国人のCくん、ヒップホッパー、僕の5人で居心地の良い夜を過ごした。
どこでも寝ているインド人は尊敬に値する。
帰り道、さっき見た感電死した牛には丁寧に茶色い布がかけられていた。
帰って最後のマンゴーゲームを楽しんで、早めに就寝。
明日は8時30分頃発で次の目的地ブッダガヤに行く。
ここでブッダは悟りを開いたらしい・・・
つづく
⠀
[…] ≪≪前の日記 次の日記≫≫ […]
[…] ≪≪前の日記 次の日記≫≫ […]
[…] 【インド11日目】The Shape of Gaṅgā Water […]