【インド13日目】「お前はkindな人間か?」

2018年7月14日(土)

※備忘録としての日記をベースにしているため、不必要な文章も多いかと思いますがご了承ください!

☆旅のルート☆

デリー→リシケシ→デリー→

→カジュラホ→バラナシ→

ブッダガヤ→コルカタ



宿泊した仏心寺の室内が暑くて大して寝ることもできないまま、やっとの思いで朝を迎えた。

外で寝た方が温度的にはマシだったけど、インドにも蚊がたくさんいるのでそういうわけにもいかない。

洗濯をして屋上に干しに行き、身支度をしてバックパックをフロントに預ける。フロントのインド人に暑くて寝れなかったと言ったら、何言ってんだコイツ?という顔をされた。

確かに僕が便利な生活に慣れすぎているだけなのかもしれない。

昨日ブッダガヤに来て行動を共にしたYくんはバラナシに今日向かうというので、バラナシのおすすめをいくつか紹介して、握手して別れた。

 

リキシャーでまずはMahakala Mountain(前正覚山)へ向かうことに。リキシャーは宿のインド人スタッフに言って、知り合いだというドライバーを手配。交渉して600ルピー(約1,000円)だからまあインドにしては安くはない値段だと思う。

しかもなぜかリキシャ―には初めからおじいさんが乗っていて、どこかの市場でそのおじいさん下ろしてから目的地に向かうことになった。(写真では見づらいけどちゃっかり後部座席に乗ってる笑)

せっかく市場に来たので食料を物色して、マンゴーを60ルピー(約100円)/kgという破格の値段で手に入れた。

ハチがたくさんたかっている甘そうな食べ物を見たけど、これじゃ全く食欲が湧かないぜ!

市場を出発しようとするとリキシャ―のギアが入りづらくなり、いつまで経っても直りそうにないので選手交代。

次のドライバーは彼。頼んだぞ!GO!GO!
(先のドライバーに200ルピー、後のこのドライバーに400ルピー払う話になった)

 

【前正覚山を見上げる】

【前正覚山から見下ろす】

前正覚山(ぜんしょうがくさん)は、仏教の開祖お釈迦様がブッダ(=悟った人)と呼ばれるようになる前、つまり悟りを開く前に6年間に及ぶ苦行をした岩山。

岩山の中腹にある留影窟(りゅうえいくつ)という洞窟で断食修行を行い、骨と皮だけのガリガリ姿になったお釈迦様。修行をしたというその洞窟は、実際に中に入り今では金色のお釈迦様の像を拝むことができる。中は暑いし、狭くて息苦しいけど、僧侶がお経を唱えていた。僕には3分が限界だった。

6年の苦行を経て生死の境すら彷徨い、こんなことしてても悟れんなと気付いたお釈迦様のエピソードが、いかにも人間らしくていい。

 

 

前正覚山には地元の子供達、遠くから参拝に来た家族、手なずけられた猿にお年寄りの物乞いがたくさんいる。

 

続いてスジャータ村。

苦行をやめてガリッガリになって山から下りてきたお釈迦様に、スジャータという娘が乳粥(ちちがゆ)を飲ませ、お釈迦様がみるみるうちに回復していったという場面。

 

 

一通りリキシャ―で見学をし終わって、残すブッダガヤの見学地はお釈迦様が悟りを開いた究極の聖地「マハ―ボーディー寺院」だけとなった。

時間があったので町を歩き、市場で朝買ったマンゴーを歩いている2人の子供に一つずつあげて、ベンチで残りのマンゴー1つを頬張る。

 

するとカタコトの日本語を話す男がやってきて、僕の隣に遠慮なく座った。

マンゴーを子供にあげたのを見ていたらしく「キミはkind(親切)なんだね!」と言ってきた。

 

何かが起こりそうな予感がしたけど、今夜のバスの出発まで時間はたっぷりあるので相手にしてみることにする。

この地域で先生をやっているというその男とは、正確には昨日座禅をした日本寺の入口で顔を合わせていた。僕がまだランチを食べていないというと、おすすめのレストランがあるというので付いて行った。レストランは地元の人間に聞くのが良い。

僕が注文しようとするとその男は何も食べないと言い、向かいに座られて一人で食べるのもなんとなく良い気がしないので、僕の注文したマンゴージュースとカレーをシェアして一緒に食べた。

 

会った瞬間からこの男には何らかの意図があるのには薄々気付いていた。

ご飯を食べ終わると、仲間だという若い男が数人合流して、何か飲みたいものはあるかというので、ペットボトルの水をもらった。

 

最終的に、声をかけてきた先生と名乗る男と、法律を勉強しているという25歳の男と、素性を明かさない男の3人になった。日本人の間で“トトロの木”と呼ばれる大きな木があるので見に行かないかと3人はしきりに勧めてきて、地球の歩き方にも確かに載っていたけど、行くのは断った。

 

ここで先生という男が、いよいよ“本題”に舵を切る。

自分が勉強を教えている学校と、そこに通う子供達の話だ。

その学校と呼ばれる施設には現在32人の孤児が暮らし、地域の人や旅行者からの寄付で生活や学校が成り立っているのだという。

名前はElizabeth Children home(エリザベス チルドレン ホーム)と言って、こっそり調べると確かに地図にも載っていた。

このあたりでは一つ屋根の下に5人も6人も子供が生まれ、経済的に育てきれなくなった親たちが子供を路上に捨ててしまうのだそうだ。

それでも僕がここに来た目的が違うから寄付するつもりないよと伝えると、寄付しなくてもいいから一度施設の様子を見に来てほしいと男は言う。

 

バイクで半ば強制的に施設に連れて行かれると、外観は白っぽく、中はコンクリート打ちっぱなしのような造りの建物があった。おそらく教会を改築した建物だと思う。

中には部屋がいくつかあり、先生というその男が声をかけると、8人程の子供たちが真ん中の共有スペースに集まってきた。たぶんみんな小学校低学年くらいかな。

先生という男は僕のことを“ゲスト”だと言い僕の右のパイプ椅子に腰かけ、僕にも座れと言ってくる。先生の奥にはディレクターと呼ばれる施設を統率する女性が座り、僕の左には法律を勉強しているという男が座った。もう一人の素性を明かさなかった男は、外のバイクのところで待機していたらしい。完全に囲まれた。

 

まず、先生の掛け声で子供たちが僕のところにやってきて「My name is 〇〇. Nice to meet you.」と言って順番に握手をしてくる。僕も笑顔で一人ずつ挨拶をした。

そして子供たちが床に座ると、先生の掛け声で今度は合唱が始まった。3曲歌ってたと思う。「子供たちがゲストの君のために歌っているのが分かるかい?」と先生は言うけど、誰一人として僕の方を向いて歌ってる子供はいなかった。

 

歌が終わると子供たちはどこかに散っていき、大人4人だけになった。

先生は僕に「Elizabeth Children home」と書かれた分厚い施設紹介資料を渡した後、これまでの訪問者のコメントブックを読むように促した。

コメントブックには日本人のコメントも見られ、僕も言われるがままに日本語で施設へのメッセージを書いた。

 

そして最後に当然の流れのように寄付の申込用紙が渡された。

きっと通販番組と同じように、そこにいる誰もが固唾を飲む重要な場面だっただろう(笑)

 

少し悩み、空気が読めないで有名な僕が100ルピー(約160円)と書いた時には、長いようで短い沈黙があった。

「ゼロが一個足りないよ」「それでは子どもたちは助けられない」「最低1,000ルピーは必要だ」「お前はkind(親切)な人間じゃないのか?」と思いの外かなりのヤジと呆れ声が飛んできた。寄付不要と聞いていたので、ヤジを飛ばされる筋合いはこちらにもない。

やり方が強引な感じがして少し気に入らなかったし、この手の寄付は100%子供のために使われない可能性もあるようだし、そして何よりElizabeth Children homeの場所が違った。

右上がElizabeth Children homeで、僕は左下のところに来ていた。

最終的に100ルピーでは満足されなかったのでお金は一銭も渡さずに、ケツの穴が小さいヤツの汚名を着せられながら施設を後にする。バイクで町の中心部まで送り届けてもらった後も、お金が直接的過ぎて嫌だというなら、お米とかでも良いよと何度も言われ、結局僕は何も渡さない選択をした。正確に言えばガソリン代として気持ちだけ手渡して、彼らとは別れた。

 

ブッダガヤのあるビハール州は、インドの中でも最も教育水準が低く、最も貧しい地域とも言われている。お金は渡さなかったけど、僕は彼らからは悪気は一切感じず、本気でこの貧困をなんとかしようと応急処置をしている人たちだとは気付いてた。

 

ブッダが悟りを開いた場所に建てられているマハ―ボーディー寺院では多くの信者が祈りを捧げていて、空海の眠る高野山金剛峰寺の奥之院のような厳かな雰囲気があった。日本人が当たり前に持つ仏教的な思想の原点がこの地にある。

今日一日で、この町の表と裏の顔を見た。

 

仏心寺で洗濯物を取り込み、精算を済ませてから18時過ぎの埃っぽいバスに乗り込んだ。

相棒のiPodを盗まれながら、今回の旅の終焉の地コルカタへと向かう。

つづく

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