2018年7月16日(月)
※備忘録としての日記をベースにしているため、不必要な文章も多いかと思いますがご了承ください!
☆旅のルート☆
デリー→リシケシ→デリー→
→カジュラホ→バラナシ→
→ブッダガヤ→コルカタ(最終目的地)
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6時半に起床して、自分の身体のアチコチを触って確かめる。
もちろん自分のカラダか誰かのカラダになっていないかなどを確認したかったわけではなくて、南京虫には血を吸われていないか確認したかった(笑)
今日は無事だったようだ。
身支度をして、マザーハウス(マザーテレサの家)のボランティアへと向かった。宿泊している日本人宿サンタナ・コルカタからは徒歩約10分。
マザーハウスはマザー・テレサが生前に慈善活動をしていた施設で、Missionary of Charity (神の愛の宣教者会) という彼女が設立したキリスト教団体が今も運営している。
このボランティアへの参加は、僕がインドのコルカタに来た目的の一つでもあって、そもそも観光目的でコルカタに来る人はあまりいない。
7時過ぎにマザーハウスに着くと、マザーテレサが眠る棺のある部屋で祈りを捧げている人の姿が見られた。
入口でサンタナ・コルカタに泊まる台湾や香港といったアジアのメンバーを見かけたので挨拶すると、「地下の部屋で朝食のパン・バナナ・チャイを無料でもらえる」と教えてくれたので早速行ってみる。
そこで朝食をいただいていると、ボランティア参加者の一人でフランス人のニコラが声をかけてくれた。英語の名前はニコラスだけど、フランス語は語尾のSを発音しないのでニコラになると大学のフランス語の授業で習ったのを思い出した。ニコラは「ボランティアへようこそ!」と笑顔で僕を迎えてくれたくれた。この空間にはおそらく悪い人はいない。
地下のフロアには、世界各国からのボランティア参加者が50名程いたとと思う。年齢も幅広かった。
7時30分頃に、シスター(修道女)の合図でフロアが静かになり、朝礼のようなものが始まった。
まずは壁に歌詞が貼られている賛美歌を合唱し、次にシスターのボランティア活動に関する説明を聞く。そして今日ボランティアを終える2名のために労いの歌をみんなで歌った。2人のうちの一人は日本人の女の子だった。
朝礼の最後に、ボランティア初参加の人は朝礼後に一人のシスターのところに集まるように指示があったので行ってみる。
①今日午前中から参加して、15時にボランティア参加登録をしにまた来る
②今日は午後から参加にして、ボランティア参加登録をせずに、スリーデー参加パスをもらう
シスターに2つの選択を迫られる。
午後からと言っていたことを聞き取れずに②のスリーデーパスを発行してもらった後で、やっぱり今ここにいるからには午前中から参加したいとシスターに伝えると、忙しいんだからちゃんと話を聞きなさい!とけっこう嫌な顔をされた。(もっと英語力を鍛えなければならないな!)
そして数あるボランティア施設(施設によって患者や症状が異なる)の中で僕がシスターによって配置されたのは、NIrmal Hriday “Kalighat”、通称【死を待つ人々の家】
死を待つ人々の家(しをまつひとびとのいえ)は、1952年にマザー・テレサにより、インドのカルカッタ(コルカタ)に設立された、貧困や病気で死にそうになっている人の最期を看取るための施設。ヒンドゥー教のカーリー神を祭る寺院であったが、長く放置され荒れ果てていたものをリニューアルして病院にしたもの。この施設は、マザー・テレサの49回目の誕生日を記念して開所したものである。
ここで死を迎える人々は、生命のあるうちに本人の信仰している宗教を尋ねられ、亡くなった後はその人の宗教のやり方で葬儀が行われる。なお、ここに収容された人々の全てがそのまま死を迎えるわけではなく、約半数の人々は無事に回復して施設から出ているという。
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前日にヤギの首打ちを見たカーリー寺院を左手に見ながら、その裏手にある死を待つ人々の家には 8時30分頃に到着した。(バスの交通費9ルピー約15円は参加者の実費)
入口のドアを開けて座っているおじいさんの受付を済ますと、中に通された。
イメージしていたよりは館内の様子には驚くことはなく、男性と女性の施設利用者は部屋を隔離され、合計80名程度が一つ屋根の下で暮らしている。
僕のようなボランティアスタッフに対する案内人などが特にいるわけではないので、やるべきことを自分自身で見つけ、やらないならいつでも帰っていいような雰囲気だ。
「ここで働かせてください!」と“千と千尋の神隠し”の主人公の千尋のように、雇用をお願いをする湯婆婆(ゆばーば)のような人も残念ながらいない(笑)
ルールがないのがここでのルールと言っても過言ではない。
ボランティアスタッフは性別関係なしに、まずは男性患者の部屋にある大きな洗濯場で洗濯から始めるのが日課のようだ。遅れて到着した僕は、他のスタッフの見様見真似で洗濯作業を手伝おうとしたけど、人手は足りているようだったのでしばらく脇で様子を見ることにした。
洗濯作業がひと段落すると、スタッフ同士も男女で分かれ、同性の患者のいる部屋に移動した。
このインド日記は旅のリアルを伝えることがミッションなので包み隠さずに書くと、ざっとこんな感じの患者がいた。
●床を這いずりまわる人
●腕がない人
●白内障患者
●後頭部がエグれて頭蓋骨が見えている人
●急に怒り出す人
●一人で笑い続ける人
●無表情で一点だけを見つめてる人
患者の爪を切ってあげるシスターに、慣れた手つき患者の髭をカミソリで剃ってあげる男性ボランティア。患者も彼らに心を許しているようだった。
勝手が分からずとりあえず40名程の患者たちに笑顔で挨拶して回っていると、何やら僕に向かって頭を掻きむしる仕草をしてくるボウズ頭の男性が目に入った。
なんだろうと近付いていってみると、どうやら頭のマッサージをしてくれという意味らしい。僕は彼の肩から背中、腕、そして頭をたっぷり時間をかけてマッサージしてあげた。僕と同じく頭にツムジが2つある男性だった。
英語で会話出来る患者はほとんどいなかったけど、なんとなく彼らの求めていることが分かったし、僕の伝えたいこともある程度は理解してもらえた気がする。特にこういった場面での言葉を介さないコミュニケーションは経験が無いので、とても不思議な感覚がした。
その他には水をコップに注いで配ったり、不必要なマットを屋上の小屋に運んだり、ただ患者の手を握ってあげたりして前半は過ごした。
10時30分頃からボランティアスタッフは適当に小休憩を取り、11時頃にまた各自ボランティアを再開した。
階段に貼ってあったマザーテレサのポスター
“It’s not how much we do, but how much love we put into what we do.”
(どれほどのことをしたかではなく、どれほどの愛情を注いだかである。)
いろんなことに当てはまる素晴らしい格言だ。
自分のあらゆる行動には愛が伴っているか心に問いかけ、今年の正月に決めた今年の抱負『丁寧に生きる』を振り返る良い機会になった。
自分でやるべきことを探すボランティア施設とはいえ、国籍や状況は違えどスタッフも患者も結局は人間同士。
彼らからも声を掛けて来るから、突っ立っているくらいであれば歩き回って様子を見ている方が良い。何もしなくても笑顔でいることに意味があるように思えたし、単純なことでも彼らが求めていることをしてあげると、無言でも無表情でもしっかりと喜ばれている確かな感覚があった。
午前の部の終盤、ベットに横たわる男性(最初にマッサージをしてあげたボウズの男性)にもう一回マッサージをしてくれとジェスチャーされてマッサージをしていると、そのまま彼が眠ってしまったようなので、起こさないようにゆっくりと手を離した。
気が付くと12時になり、ボランティア初日は無事終了した。
つづく
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