2018年7月10日(火)
※備忘録としての日記をベースにしているため、不必要な文章も多いかと思いますがご了承ください!
☆旅のルート☆
デリー→リシケシ→デリー→
→カジュラホ→バラナシ
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お世話になっている宿【ルドラゲストハウス】の屋上は、路上の喧騒とかけ離れていて好き。
だけど建物への侵入を狙う凶暴なサルが多いので、ドアの開けっ放しは要注意!⠀
屋上にいると、モォ〜〜〜と、どこからか牛の鳴き声が聞こえてきて、柵から見下ろすと牛舎が見えた。少し見づらいけどこの中に家畜の牛がいるようだ。⠀
ゲストハウスの入り口では2人の日本人男性がコーヒーを飲んでくつろいでいた。⠀
このゲストハウスに住み込むユル〜い雰囲気のJ君と、他のホテルに住みインドの伝統楽器シタールを今年いっぱい習っているというMさんだ。⠀
住み込みのJ君は「とりあえず来年くらいまで、ここで働かせてもらいながらゆっくり過ごします〜」と言っていた。身体にはインドに来て“気分で入れた”というタトゥーがいくつか入っていた。⠀
インドでタトゥーを入れるのはもちろん安いんだけど、細菌感染などの危険性があるので、少し怖い。⠀
インドの日本人宿では、労働の対価としての給料が出ない代わりに、寝る場所を提供しますというところがいくつか存在する。長期滞在者など、場合によっては給料が出るところもあるらしい。⠀
日本人の金銭感覚ではほとんど生活費がかからないので、居ようと思えばダラダラといつまででも居ることができてしまうのがインド。⠀
こういう状態は通称【沈没(ちんぼつ)】と呼ばれる(笑)⠀
いろんな事情でインドに沈没してる日本人にこの旅で何人か会った。⠀
昼頃まで部屋と屋上で過ごし、今の2人に昨日も一緒だったTさんも加わり、4人でシリカフェというベジレストランに行った。僕が頼んだベジカレーも、他のみんなが頼んだベジ料理も、日本人にウケる味だった。⠀
夜にシタールを見せてもらう約束をMさんとしてから、解散した。
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バラナシというこの街に僕が元々持っていたイメージは至ってシンプルで、ガンジス川の沐浴、そして死体を焼く火葬場と死体が流される川。⠀
ガンジス川にはあらゆる死体やゴミ、ツバ、未処理の生活排水、工場からの化学物質が流れていて、衛生的には完全にNGだ。⠀
それでも沐浴することで信者や死者の現世における罪が取り除かれると信じられているので、信仰的にはOKだ。⠀
OKなんて言葉を使うとヒンドゥー教徒に失礼に当たりそうなほど、ヒンドゥー教最大の聖地となっている(笑)⠀
バラナシまでやって来て、ここで死を待つヒンドゥー教徒がたくさんいるらしい。⠀
どうしてここバラナシがヒンドゥー教における最大の聖地か?ということには諸説あり、⠀
①ヒンドゥー教の破壊神シヴァの頭にある三日月のように、ガンジス川が湾曲している場所だから⠀
※ちなみに頭からピュッと出ている白いものはガンジス川⠀
②ガンジス川がやってくるヒマラヤのある方向に向かって川が流れる場所がバラナシだから⠀
というものなんかが挙げられる。
ただ地図を見れば分かるように、別にどちらもバラナシではなくても成り立つ説なので、あまり説得力はない(笑)⠀
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僕は身体に傷口もあったので沐浴はしなかったけど(そもそも汚いし)、夕方になっても沐浴をしている人が引っ切り無しにいた。
中にはバタフライをしてはしゃぐ日本人観光客の姿もあった。⠀
こちらはガンジス川で洗濯をしている人達。目には見えないバイ菌で余計汚なくなる気がするけど・・・⠀
⠀⠀⠀
バラナシのガンジス川西岸には、ガートと呼ばれる川にアクセスしやすくなっている階段の施設が84箇所ある。花火大会の観客席みたいな感じのところ。⠀
その中で火葬場があるのが、上流のハリシュチャンドラ・ガートと、下流のマニカルニカー・ガートの2箇所。
たくさんの人に見守られながら、遺体が静かに焼かれていくのを見た。⠀
インドの死生観の本質は僕には分からないけど、立ち昇っていく煙がまた何かの一部になっていく感じがした。⠀
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“ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。”
藤原新也さんが撮ったこの写真とこの言葉には前に衝撃を受けたことがある。⠀
ヒマラヤ山麓の氷河が溶け出してガンジス川となり、ベンガル湾へと抜けるまでは全長2525kmにも及ぶ。⠀
あらゆる物体や人々の想いを乗せて海へと流れたガンジスはやがて蒸発して雲となり、モンスーンに乗ってヒマラヤ山脈にぶつかり、再び自らの一滴となる。⠀
様々な終わりと始まり、一部と全部を考える機会になった。⠀
宿に戻り、先にコルカタへと旅立つTさんと固い握手をして見送った。できればまたコルカタでまた合流したい。⠀
そして溜まった自分の洗濯物を洗って屋上に干していると、数匹のサルに囲まれて威嚇された。少し危機を感じたけど手を上げて威嚇し返すと逃げていった(笑)
ここでは洗濯物は3時間もすれば乾く。
18時頃にメインガートのところをウロついていると、50ルピー(約80円)で2箇所の火葬場を見て回れるボートに声を掛けられる。⠀
人が集まるとボートは適当なタイミングで出発した。⠀
下流のマニカルニカー・ガートにある火葬場はより厳かな雰囲気がある。薪を高額で買わされる被害も多発しているらしい。⠀
ボートが戻ると19時頃からメインガートでプージャー (礼拝)が始まる。⠀
プージャーを見て涙を流してる人を何人も見た。きっとやっとの思いでこの地に足を踏み入れることができた信者なのだろう。⠀
20:15頃までプージャーは続き、見終わってから住み込みのJ君の案内で、Mさんのホテルにシタールを聴きに行った。⠀
シタールはネックが木、ボディーはなんとカボチャで出来ているというインドの伝統的な弦楽器!
少し弾かせてもらったけど弦はギターの何倍も固かった。Mさんの左手の指にはギターで出来るマメとは比にならない程の傷に近いマメがあった。⠀
驚いたのが、一定の決まりはあるもののシタールには楽譜が無く、全て即興で演奏していくということ。⠀
初めて生で聴かせていただいたシタールは、意識を遠くに持っていかれるようなインドらしい独特な音色がした。⠀
23時過ぎまでいろんな話をして、一人では迷ってしまうような分かりづらい道を通りながら、J君の案内でゲストハウスに帰った。⠀
つづく⠀
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[…] 【インド9日目】焼かれる死体とシタールの音色《少し閲覧注意》 | NAOHIRO YODA 2018年7月21日 […]
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