画家ピカソが理解していた「お金」の本質

ピカソと言えば、キュビズムと呼ばれる図法を用いた風変りな絵画を描いた画家として有名ですが、その中でもトップ画像の「ゲルニカ」が最も広く知られている作品かと思います。

そして彼は当時としては珍しく、絵を描くことで生計を立てられた画家でもあります。

パブロ・ピカソ(Pablo Picasso [ˈpaβlo piˈkaso], 1881年10月25日 – 1973年4月8日)は、スペインのマラガに生まれ、フランスで制作活動をした画家、素描家、彫刻家。

ジョルジュ・ブラックとともに、キュビスムの創始者として知られる。生涯におよそ1万3500点の油絵と素描、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、最も多作な美術家であると『ギネスブック』に記されている。

Wikipediaより)

 

それまでの時代、画家というのは当たり前のように貧乏で、絵が評価されたり実際に売れたりしても、それは皮肉なことに彼らが死んだ後のことでした。

魂を込めて創作した作品が、作者の生前に日の目を浴びられないなんて、ちょっと悲しいですよね。

 

「ひまわり」などの作品で有名なゴッホもその例外ではなく、弟テオの理解と援助のもとで創作活動を続けることはできていましたが、描いた2000点にものぼる作品のうち、生前に売れた絵はわずか1点のみだったと言われています。

誰もが知っているゴッホでさえ、わずか1点だけとは・・・

 

それはそうと、ピカソの何がすごかったか?

「ゲルニカ」のような抽象的な画風を見れば、“少し変わった絵を描く人”と思う方もいるかもしれませんが、そもそもピカソは絵が天才的に上手かったのです。

父親が美術教師だったこともあり7歳から熱心な教育を受け、ピカソは幼少の頃からその画才で周囲を驚かせていました。絵画を教えていた父親ですら「もう息子にはかなわないな・・・」と感じて二度と絵筆を手に取ることがなかったというエピソードからも、ピカソの才能を伺い知ることができます。

「にんげんだもの」で有名な相田みつをさんにも少し似ていますね!みつをさんも天才的に字が上手なのですが、最終的にはあえて基本(型)を崩すをいうスタイルに行きつきました。(すみません、実際はこんな単純な話ではないと思います。笑)

 

91歳でその生涯を閉じるまでに、ピカソが描き遺した作品は、その数なんと7万点。

それに数ヵ所の住居やシャトー、莫大な現金などを考えると、ピカソの遺産評価額は、日本円にして約7500億円にも上るというから驚きです!

そんなこんなで、美術史上ピカソほど生前に経済的に成功した画家、つまり儲かった画家はいないというわけです。




ピカソのお金エピソード

今回はピカソの“お金にまつわる”おもしろいエピソードを2つご紹介したいと思います。

①買い物の支払いには小切手を使った

生前ピカソは、日常生活のちょっとした買い物においても積極的に小切手を使ったと言われています。

小切手は、受け取った側が金融機関に持ち込めば現金に換金することができる有価証券です。

 

ピカソが小切手を使うと、どういうことが起きるのでしょうか?

 

小切手は、受け取った側が金融機関に持ち込めば現金に換金することが出来ますと書きましたが、裏を返せば金融機関に持ち込まれない限り決して換金されません。

 

ピカソが買い物の際に小切手に署名をします。

するとそれを受け取ったお店は、ピカソの直筆サイン、ゲットだぜ!!ということで、銀行に持ち込んで現金に換えてしまうよりも、大事に所有する人が続出したのです。

今でも有名人のサインって価値がありますもんね。

 

少額の小切手もチリツモで、買い物の回数が増えれば相当な額になることはお察しの通りです。

もちろん高額の小切手は換金されるでしょうし、受け取ったお店側のピカソへの興味の有無なんかもありますから全てとは言いませんが、結果的にピカソは多くの場面で現金を支払うことなく、実質タダで買い物を済ませることができたと言われています。

出費を防ぐのもお金持ちのポイントだったんですね。

ピカソの作戦勝ちと言っていいでしょう。

②ワインのラベルデザインを無料で描いた

「シャトー=ムートン=ロートシルト」というフランスのボルドー地方にある有名シャトーのワインがあります。

このワインは1本数万円から数十万円する高級ワインですが、1973年モノのラベルはピカソがデザインしています。

そしておもしろいことに、そのデザインの対価はお金ではなく、ワインで支払われました。

 

ピカソがお金の代わりにワインをもらえば、どういうことが起きるのでしょうか?

 

ワインのブランド価値はもちろんのこと、ピカソの描いたラベル(というかアーティストとしてのピカソ自身)の評判が高ければ高いほど、ワインの価値はどんどん高まっていくことになります。

ピカソが自身で飲みたければ飲んでも良いですし、不要であれば売ってしまっても良いわけです。

つまりこの仕組みは、ワイン製造元のシャトーとピカソの双方にメリットのあるシステムということです。

 

メリット云々というよりもむしろ、マネーゲームとして楽しんでいるような感じがしますね(笑)

 

実はこのラベルデザインを芸術家に依頼するという画期的な案を思いついたのは、当時のシャトー所有者であるフィリップ・ド・ロッチルド男爵という人でした。

ちなみにこのロッチルドというのは、ロスチャイルドのフランス語読みで、言わずと知れたユダヤ金融の頂点に君臨する一族です。

1946年以来、年ごとのラベルのデザインはその時代の著名な画家や彫刻家に依頼され、1975年にはアンディ・ウォーホル、1988年にはキース・ヘリングなんかも作画提供しています。

そして常にシャトーの価値が高く保たれてるようになっているのです。

ほかにも

「お金の本質」を理解していたピカソは、どうすれば自分や作品の価値が上がり、人に影響を及ぼすことができるかを知っていました。

ご紹介したもの以外にも、例えばこんなエピソードがあります。

・自分で絵の販売会を開いた。その際に作品の意図や背景を説明、つまり「ストーリー」までも販売した。

 

・販売会には画商を何十名も呼んで、購入への競争原理が働くようにした。

こうしたエピソードはこの本に書かれていますが、

ピカソがこうしたセンスや「信用」を確立できたのには、もう一つ理由があると思います。

それはピカソの性格がオープン(社交的)だったこと。

ピカソは作品の製作時以外は、常に誰かと会っていて、恋も多かったと言われています。

 

 

常にブラッシュアップ、アップデート。いつの時代にも通じる考え方ですね!

 






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