※前回の記事はコチラ「ルーツの旅」第3話です
※最初の記事はコチラ「ルーツの旅」第1話です
どうもですー
突然ですが、2016年に発表されて世界中で話題になった「The DNA journey(日本語訳『DNAの旅』)」という動画をご存知でしょうか?
僕の書いている本記事「ルーツの旅」よりも、もっとずっと過去までさかのぼる人類のDNAのルーツのお話ですが、とても感動的なショートムービーです。
始めての方もそうでない方も、ぜひこの機会にご覧ください。
故きを温ねて新しきを知る(ふるきをたずねてあたらしきをしる)という言葉があります。昔のことを研究してそこから新しい道理や知識を得るという今から2500年も前に中国の思想家孔子さんが残した、今なお生き続ける言葉です。
以前に将棋棋士の羽生さんが著書の中で、将棋AI時代のトレンドは温故知新と言っていたことも興味深いです。
最近は棋士もAⅠを使って分析し勉強することが主流になってきた。そうして起こった最近のトレンドは温故知新。
AⅠは膨大な量のデータを残してくれるが、人間はその中から受け入れやすいもの、受け取りやすいものを取り入れていくことになる。そこで、今は流行っていないが、過去に存在して廃れてしまったような手がもう一度見直されることになった。
現在や未来を知るための手がかりは、案外過去にあったりするのでしょうね。
ということで「過去」の話!
無理やり色々と繋げつつ、ここからが前回の続きです。笑
祖父が我が家の仏壇の下から取り出してきた過去帳なるもの。こりゃあいったいなんずらか?(甲州弁:これは一体何だろう?)
世間様にお見せできないような我が家の隠された歴史でも書かれているのかと、最初に目にした時はドキドキしたものです。
何なのか聞いてみると、祖父はまるで御朱印帳を開くように折り本形式になっているそれをペラペラと開き、
「うちの先祖の “誰がいつ亡くなった” ということが記録されたものだよ」と言いました。
すこし期待を裏切られた感じではありましたが、中身の一部はこんな感じです。
※けっこう前の時代の人なので、躊躇せずに載せちゃいます
過去帳(かこちょう)とは、仏具の1つで、故人の戒名(法号・法名)・俗名・死亡年月日・享年(行年)などを記しておく帳簿である。
Wikipediaより
過去帳は一家全体が対象となるので、男性だけではなく女性の戒名も載っています。戒名の最後が「信女」となっているのが女性です。
我が家は宗派としては日蓮宗なのですが、日蓮宗では比較的こういうものを残している家が多いそうですよ。
ただ宗派で義務付けられているわけではないので、あくまでも残したい家庭が残しているというか、今では趣味で残しているくらいのもののようです。
祖父がそう言っていただけなので、本当かどうかは分かりません。
それでも過去帳は転記したものに過ぎないことを考えると、元になる戒名(法名)のデータはお寺に保管されているわけですし、市役所の戸籍に関連する部署にもある程度の情報は残っているはずなので、あながちこの表現も間違ってはいない気もします。
戸籍として役所に残っている情報は少ないので、個人的には過去のことを知る手がかりは、地域やお寺に残っている場合が多いとも思っています。(特に田舎の場合は)
我が家の過去帳は、祖父が何かの拍子にお寺に依頼して書き写してもらったものなのですが、よく見てみると誤字・脱字が多く、けっこう悲惨な箇所もありました。
ただこの過去帳のおかげでようやく、我が家の「直」がどこからスタートしたのかが分かったのです!
今も生きている家族の名前は都合により「直〇」とさせていただき、過去帳のデータの一部をまとめてみました。
過去の人と会話することはできないので、兄弟姉妹など虫食いになっている人の存在を今さら確かめることはできませんが、長男が家督を継がなかった事情なんかを想像するのも、楽しいものです。
過去帳を見て判明したのが、南湖村(現:南湖町)の安藤さん一家から依田家に養子として迎え入れられたのが、直助くんだったということのようです。
そして安藤直助くんが依田直助くんになったことが発端で、我が家の直シバリはスタートしたのでした。
元々の依田家の人間に「直」がいたというわけではないというところが、個人的には面白いです。
その前の人間を見てみると、「左ヱ門」でシバってますからねwww
僕まで「左ヱ門」でシバられなくて本当に良かったです。直助くんに感謝。
ちなみに依田家に来る前に安藤直助くんがいた南湖(なんご)という地域は我が家から車で約10分のところですが、国の重要文化財に指定されている「安藤家住宅」という建物があります。
安藤家住宅公式HPがコチラ
※入館に300円かかりますが、ぜひ南アルプス市にお越しの際には立ち寄ってみてください。
※「このブログを見た」での入館料割引は特にありませんw
この安藤家の安藤さんとも多少は関係があったのかな?もしいつか機会があれば、ぜひ関係を探ってみたいものです。
実際に安藤直助くんが、何歳で依田家の養子として迎え入れられたのかまでは分かりませんでした。
過去帳にはただ、直助が手習師匠(習字の先生)で、1888年に84歳で亡くなったという事実だけが書かれているのでした。
当時にしては意外と長生き(笑)
つづく
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