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第二次世界大戦で中国に出兵して戦死した直衛さんでしたが、戦地から送られてきた遺品の中にこんなものがありました。
あまり達筆とは言えないような・・・?(笑)
祖父に聞くところによると、この書は中国に直衛さんが出兵していた際に現地の町長さんのような方にプレゼントされたもののようです。
それは大変失礼を致しました!m(__)m
漢詩に詳しい友人曰く、この詩は「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」という有名な詩のようで、インターネットでも読み方と意味を調べることが出来ました。
【読み方】
月落ち烏啼いて 霜天に満つ
江楓漁火 愁眠に対す
姑蘇城外 寒山寺
夜半の鐘声 客船に到る(つきおちからすないて しもてんにみつ
こうふうぎょか しゅうみんにたいす
こそじょうがい かんざんじ
やはんのしょうせい かくせんにいたる)
【意味】
月は沈み夜烏(よがらす)が啼き、霜の降りる気配が天に満ち満ちて、冷え込んできた。川岸の楓(かえで)の木々の間には漁火(いさりび)が点々として、旅愁のためにうつらうつらとして眠れない私の目に映る。
もう夜明けも近いのかなと思っているところへ、姑蘇城外の寒山寺から打ちだされる夜半を告げる鐘の音が、私の乗っている旅の船にまで響いて来たのであった。
詩の作者は8世紀頃の中国の政治家であり詩人の張継(ちょうけい)という人物で、地方官への赴任を命じられた時の寂しい気持ちを詠んだものとされています。
この詩を直衛さんにプレゼントした町長さんが当時何を見て何を思ったかは分かりませんが、いずれにしても詩を書いて人にプレゼントするという行為は素敵だなぁと思います。
この人が町長さんなのでしょうか?
なにかの会長さんじゃないか?wというツッコミはさておき、僕には読解できません・・・
もし読者の皆さんの中で解読できる方がいれば、メッセージ待ってます。
ちなみにこの詩に出てくる寒山寺は蘇州(上海の近く)に今でもある臨済宗のお寺で、むかし寒山・拾得(かんざん・じっとく)という2人の少し風変わりな僧侶がいたことでも知られています。
おどろおどろしい雰囲気が漂っています。気になりますね(笑)
さて、我が家の菩提寺にある直衛さんの戦没慰霊碑の碑文をもう一度見てみます。
昭和十九年五月二十五日
中華民國河南省
洛陽県東家ニ於テ戦死
三十才
洛陽県東家
なかなか戦没地が特定されている気がします。
なんとなくのイメージでは、僕の住んでいる「山梨県の南アルプス市」くらいまでは分かっているような・・・
時代は、本当に進みました。
気になったことを調べれば、ものの数秒で分かってしまうことがあるんですから。
※Googleのサービスは本当に便利で人類の生活水準を上げてくれていますが、いずれ有料化されるというすこし怖い話を最近よく聞きます。本当でしょうか・・・
地図を見る限り山ばかりですが、おそらくこの東家(ドンジャ)という場所は町か村くらいの行政単位ではないか推測します。
戦時中、こんなところにまで日本人が行っていたわけですね。
皆さま、身内の人間しか興味がないような僕の自己満企画「ルーツの旅」ですが、ここまで少しばかりはお楽しみいただけましたでしょうか。
第1話でお伝えした通り、この企画は “なるべくリアルな内容” にするつもりです。
ということで、僕はこの「東家」という場所にいつか実際に行ってこようと思っています。
中国語全く話せませんけどね(笑)
それでは、サイチェン(再見)!
<現地編>につづく
[…] 【連載】「ルーツの旅⑧」 | NAOHIRO YODA 2018年12月6日 […]
コメント失礼いたします。
私も、山梨県に住む依田で32歳の♂です。
私も、自分のルーツを知りたく以前調べたことがあります。
そこで、直大さんの家系に少し似ているところがありました。
それは、私の家系は依田○直シバリをしていたことです。
残念ながら、私の家系の依田○直シバリは祖父の代で終わってしまっていますが、直大さんの家系と繋がりのあるのかもしれませんね。
コメントありがとうございます!
今は記録を正確に遺す手段が増えましたが、昔は紙以外への記録が難しいので、ルーツを辿るのもなかなか苦労しますよね。
「依田会」というマニアックなコミュニティーもありますし、元を辿ればきっとどこかで繋がっているのでしょうね(^_^)
○直シバリ、個人的にとても興味深いです(笑)
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